生きにくい性格を変えることができるか

 我ながらキャッチーなタイトルですが、最近あまりにマニアックな内容ばかりになってしまったために、今回は分かりやすいタイトルと内容を心がけようと思います。

 性格は変わらないという意見と、性格は思い込みをなくせばすぐに変えられるという意見の両方がネットにも自己啓発本にも流れていますが、私はどちらの考え方にも賛成しません。性格を例えばピアノの練習と言い換えてみれば、「ピアノは弾けない」「ピアノはすぐに弾ける」どちらの考えも極端だと誰しもがすぐにわかりますが、こと「性格」という、目に見えない漠然とした対象の変化を考える時にはなぜそうならないのでしょう?

 ピアノをうまく弾けるようになるためにはどうしたらよいのか?それには大抵の方が答えられると思います。自己流でも本を読むだけでもなく、教え方の上手な先生を見つけてコツコツと練習すること、と。もちろんピアノを弾く才能があれば早く上手になりますし、また子どもの頃から練習すればより上手になるでしょうが、その過程は同じでしょう。

 性格も同様と考えると分かりやすいと思います。ただ、ピアノと違って誰もが持っているもので、それを使って生きているので、意識できない部分に癖がついてしまい、上手に使いこなせないと考えると分かりやすいでしょう。

 自己啓発本の中には優れたものもあり、読めばなるほどと思い、自分も変われるのではないかと実践するが、それが続かないのは、これまでの人生でついてしまった癖からどうしても抜けられないからという部分もあります。ピアノの練習と同様、適切な方法で毎日練習していかないといつの間にか元に戻ってしまうということも。

 前回まで私はしつこいほど脳の話をしていたのですが、本や最近ではYouTubeなどを見て、なるほどと思う部分は人間の考える部分で、大脳新皮質、特に前頭葉の役割です。頭で理解すること、それはAIの機能に近いものです。ところが人間はAIと似ていると同時に動物でもあります。前回お話したように、危険から逃れることと危険を察知すると養育者(のちに集団)に近づこうとすることは集団を形成する哺乳動物全体の本能と言えます。

 つまり前頭葉、アタッチメント、不安から逃れる扁桃体の機能はそれぞれ別のものを目指していますので、それがうまく働くためにはかなりの訓練が必要です。私たちが自分の性格という漠然としたものをうまく操れるには、ピアノの教師や運動選手のコーチさながらの熟練者からの訓練が必要だと言ってもいいと思うのです。

 「そんな熟練者に育てられた人がいるわけがない」と思うでしょう。その通りだと思うと同時に、子育てのこの心の部分は特に日本では軽んじられてきた部分だったと思います。上手な育児を受けてきた人は、本能的に我が子に接してもそれほど的外れになりませんが、偏った育て方をされたり、現実生活に精一杯で子どもの心について考える余裕がなかったりした場合、その子が大人になった時にバランスの良い子育てをすることはとても難しくなります。特に最近のように核家族でコミュニティとのつながりも薄い場合、まだ若い両親(特に母親)に子育ての責任が偏ってしまうため、その影響は昔よりもはるかに大きくなってしまいますので、現代社会で子育てをする方は大変です。

 具体的にどのような問題が生じるか?よくある例を挙げると、早期幼児期に必要最小限に子どもの「不安」(これは本能から来るものですので、空腹もあればどこかが痛い時も、不快な時も、退屈で寂しい時もあるでしょう)を察した子育てをした場合には、いずれその養育者イメージを子どもは取り入れて、多少の不安な状態でも、耐えて待てるようになってきます。もしそうでない場合には、子どもはその危険を自分でコントロールしないといけないと感じる防衛本能が強く出てしまいます。

また一方では、自分が親から十分な思いやりが受けられないのは自分に落ち度があるせいかもしれないと感じる自分もできてきます。そうするとその自分は自分自身に厳しくダメ出しを出し続けることになります。もちろん厳しくダメ出しをされることは誰にとっても辛い、嫌なことですから、それに不安を感じ、自分を責めたり、逆に怒りで不安を追い払う癖がついてしまう人も出てきます。

 そのような脳内人間関係のこじれが悪化すると、不安で助けを求めていた自分は置き去りになってしまいます。置き去りで見えないものにされた自分はますます不安になってしまいます。そしてその人自身、「なんで自分はこんなに生きにくいのだろう?」と思うかもしれませんし、怒ることでそのような問題から逃れる癖がついている人は、その人自身は困らなくても周囲を困らせているかもしれません。

 これはとてもよくある一例ですが、人は自分の心(脳、性格)をうまく使いこなせないと様々な生きにくさや精神症状が出てきやすくなります。

こじれてしまった場合、どこがどのようにバランスが崩れているかを見ていくと同時に、バランスよく心を使いこなす練習が必要で、そのためには自分の心の中のすべての自己、とりわけ一番弱いと感じられる自己に敬意と思いやりを持つ必要があります。