全般性不安障害のセラピーについて

 「不安」についての考察をかなりしてきましたが、この中でも「全般性不安障害」の診断名が付くような不安は、社会不安性障害や〇〇フォビアとは異なって、不安のきっかけになる原因も分からず、不安になる状況も限定されていない、何をしても強烈な不安から逃れられないという辛い状況です。

酷い場合は寝ても起きても不安から逃れられないために何も手につかなくなり、寝ている時も不安から逃れられない場合もあります。これは大変つらい状態だと想像がつきます。

 このような場合、あまりにも切羽詰まっているので、自由連想が必要な精神分析的なセラピーでは連想自体ができないことが多くなってしまいます。

 私は、この不安はこれまでお話してきた、海馬→扁桃体にやってくる誤情報から交感神経が興奮して暴走するものだと仮定して、セラピーをします。いわゆるトラウマのフラッシュバックと同様に対応します。

 このようなケースの方の場合、対応は「不安の暴走を止める」という点に的を絞るためにシンプルになります。

まず、不安の査定がをお勧めします。不安度を1から10までとして、1はほとんど不安のない平常時の状態、10は不安で何も手が付かず、居ても立っても居られない状況とします。私は、8から10までならば強制的にでも不安を止めるように勧めます。眠れる人には眠ること、眠剤や頓服薬をお持ちの方には、それをお使いすることも勧めます。激しい運動が思考を止めることもできますが、この状態では難しい人も多いかもしれません。なぜ思考を止めるのかというと、このレベルでは不安が思考を「乗っ取る」ために、不安をさらに加速するような思考しかできなくなっているからです。

 具体的には「死んでしまうのではないか?」と、とても可能性の低い、あるいは遠い未来の不安を拾い上げて焦ってパニック状態になったり、「不安になったらどうしよう?」と不安な状態が不安の引き金になったりします。これは大変苦痛な上に、さらに不安を大きくするのでストップをかけることがもっともよい状況ですし、それを躊躇する必要はありません。熱が40度ある時に安静にしましょうということと同じです。

 次に5から7ぐらいの場合、このぐらいならばいわゆるマインドフルネスも可能になります。なるべく静かな環境で、目をつぶって座り、あるいはベッドで横になっても大丈夫です。自分の身体に目を向けて、身体のどの辺りに「不安」と呼ぶ不快な変化があるのかを見ていきます。喉のあたりの詰まりや、胃が熱くなる感覚、下腹の不快感、手足の脱力感やぞっとする感触、背中の重さや頭にもやがかかった感覚や、頭頂部に何かがかぶせられたような感覚でうまく物が考えられなくなるような、どれも不快な感覚が感じられるようになります。マインドフルネスと同様、それらをただ感じます。

 病的な「不安」とは、過去のどこかで体験した、ある状況でのそのような身体感覚を感じて、それを現在の現実と取り違えたり、未来の予測と取り違えることによって生じます。つまり「不安」が先で「不安な原因」や「防ぐべき不安」は頭で考えた後付けのものなのです。

 「マインドフルネスのようにただ感じる」とお話しましたが、もっと慣れてくると、ただ感じるだけでなく、そのような不安な身体=過去に体験した自分自身の身体感覚=幼く無力で泣いている過去の自分とイメージして、その子を慰める大人としての自分が想像できると「不安な感覚」は減じていきます。ただ、これは一人でがんばるよりもセラピーの中で少しずつ可能になるものと思ってください。

また、私が過去に書いたbloghttps://www.kiyosushinri.com/blog/2011/ や、https://www.kiyosushinri.com/blog/2053/ なども参考にして、「不安」は生物学的な部分の暴走で、それは改善可能なのだと理解していただくことも大切です。

いったん不安をコントロールできる感覚を持つことができると、不安自体がかなり軽くなってきます。不安は、原因も解決法も分からないことでより酷くなるからです。

これは仮説ですが、私自身は、このような不安は幼少時養育者との関係で情動調整を身に付けそこなった人に多いように思います。アタッチメントの関係で情動調整を身に付けそこなったために、不安な部分を恥じて隠そうとしたり、強引に自分で何とかしないといけないと考えて却って不安に火をつけてしまっているようです。

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